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愛情省101号室

物 議 を 醸 せ

アーティスティックの極致

みんなどこかで、本当は自我なんて模倣の集合体でしかないことに気付いているんだろ?

 

 

もし自分を自分のものにしたいのなら、自分が唯一無二であると確信したいなら、ユニークな存在であることを立証したいなら、これまでになかった新たな価値を創造するしかない。

アーティスティックの極致、最終的自己表現、1人の人生の彼岸、そんなものの先にあるのは、「自分が何かのコピーではないことの証明」でしかない。

 

ではこの世界に、自分を獲得できた人がどれほどいるというのか。

不可避な死の匂いを感じる

不可視の生の存在を感じる

 

 

人生が幸福であるべき理由

諸君、人生とは苦難の連続である。

この苦難は絶え間なく続く。

人間関係、金銭状況、家庭環境、突然の不幸に格差社会etc、苦難の原因は枚挙に暇が無い。

しかもそれらは自分の力ではどうすることもできない場合が多い。

これは、全くもってふざけている。

一度限りの人生、一度限りの博打なのに、なぜ我々は不幸にならねばならない?

 

 

苦難は続く。

しかもそれは不可避で、人生を進める上では真正面から受け止めねばならない。

ならどうすればよいか。

我々はただ、不幸になるために生きているのか。

ちょっぴりの楽しさの為に、多大なる不幸を飲み込まなくてはならないのか。

 

 

否、断じて否。

「たった一度の人生を楽しく過ごす」という前提に立てば、押し付けられた苦難以上の幸福を享受する資格が、我々一人一人のなかにあるのだ。

人生のマイナスを補って、プラスにする選択肢があるのだ。

「みんな不幸になりましょう」などという社会に対し、毅然とNOを突きつけ、マイナスを補って余りある幸福を請求する権利を持っているのだ。

 

 

それが人生である。

それがこの現代社会である。

幸福になるために社会があるのだ。

幸福を諦め、退屈を受け入れて、現状に甘えたまま未来へ甘い期待を抱くのは、「生きている」とは言わない。

"生きる" とは、傷つけ傷つけられても幸福を求めて戦い続ける覚悟のことである。

真に生きていたいなら、苦難に塗れても戦い続ける理由を見失ってはいけない。

 

 

人生が幸福であるべき理由。

それは "苦難を押し付けられているから" に他ならない。

たった一度の人生なのだから、押し付けられた苦難以上に幸福であるべきなのだ。

そのためには、幸福を求めて、苦難ばかりを押し付ける全てと戦う必要がある。

それが生きるってことだろう。

それが生きているってことだろう。

新年度

親愛なる読者諸君、新年度である。

大学から"旧"4年生は消え、我ら"新"4年生がのさばる時代の到来である。

時は来た!

次に大学へ行った時、思い切り「 アッ、4年生です……」っていう顔してやる!

待ってろ新入生、大学生の時間割がそんなに自由じゃないことを思い知るがいい!

大学生道(みち)は辛く厳しいぞ!

 

 

もちろんこの投稿もiPadである。

しかしやはり旧型、びっくりするほど能力が低い。

なんと私のタイピング速度についてこれないのだ。

それでもアップルの末裔か!(クシャナ殿下感)

旧型iPadの動作性を向上させる方法をご存知の方、ぜひご一報を。

 

 

あーーーーーー、デートしたい!(唐突)

みなさん暇なんですか?

このバカアホブログの閲覧者が、今週だけで40人を超えている。

開設した手前、少し書いてやろうと思い、夜中にひっそりと更新しているのに。

みなさん暇なんですか、人生に疲れているんですか?

 

 

ところでこの更新、なんと最近手に入れた新しいオモチャからの投稿である。

親愛なる読者諸君ならお分かりであろう、新しいオモチャとは iPad mini のことだァ!(迫真のSE)

父君からお譲り頂いた代物で、確かに動作性は遅いものの、バッテリーがいかれて電源のある場所でしか動かないmy laptop computer を思えばまだ使い道がある。

しかも画面がデカい。

SEの4倍はあろうかというこの画面を活かして、iTunesU やNetflix を楽しんでやろうという魂胆だ。

とりあえずBluetooth キーボードを発注したので、届いてからサブPCにするのが楽しみである。

 

……キーボード操作がしやすいために、ついつい文章も増えがちである。

打ち間違いが激しいので、早くキーボードが欲しい!

あとできればこの変な保護フィルムも変えたいな!

止まらぬ欲望、その正当化

冷静に聞いてほしい。

私は欲望の権化だ。

 

絶賛悟り探求中だった釈迦を誘惑したとされる魔神マーラ、その生まれ変わりじゃないかと思うほどに欲深い。

手に入らない欲望を抱くならまだマシで、東大に入りたいとかタワマンに住みたいとか、そんなんであれば別にいい。

ただ私の場合はあらゆる場面において「こうなったらなぁ」「〇〇が欲しいなぁ」と思ってしまい、そしてその欲望を正当化して、欲望を満たすための行動を開始してしまうのだ。

これは大問題である。

しかもそうした欲望の大抵は叶っちゃうのである。

こうなるともう手がつけられない。

「これ叶ったから、さらにこうしたい」

「これいけるならまだいけるんじゃね?」

そうして際限なく欲望は膨らんでいく。

 

 

そんなことを何故ここに書いたのか、と疑問に思う方も多かろう。

馬鹿め、ここは私のブログだ!

何書こうと自由だろ!

アハハ!

 

しいて言うなら、自己肯定のためである。

「欲しい」という想いを原動力にここまで来たなら、この欲望を抑えることなく人生を爆走した方がいいんじゃないか。

幸いなことに叶えるだけのポテンシャルはあるのだ、持って生まれたものを最大限に活かすことが最善なのではないか。

ならばこそ、欲望を叶えるために生きるのが私の正しい姿なのではないか。

 

 

うーん、マーベラス

煩悩の化身として自分を肯定し、社会常識に反骨するこの私に期待していてくれ!

以上!

 

社会と戦うために

私は大学院に進学したい。

理由は単純明快、自分を鍛えたいからだ。

 

地域政策学や国際政治学を勉強してると、この世界がどれだけ不条理で厳しいかよく分かる。

さらに田舎しか知らぬこの身では、都会の暮らしがどれほどのものかも知らぬ。

しかも私は秀才ではないし、特段秀でているものもない。

ちょっとばかり政策提案もかじっているけど、この国のトップには手が届かない。

 

つまりは、私は今のままだと使い物にならない。

今のままじゃ大学まで来た意味を感じられない。

私は学びにきたのであって、大卒の肩書きが欲しかったわけじゃない。

しっかり学んで、得た知識を活用して、この不条理な社会と戦っていくために進学したはず。

4年間じゃ、知識も経験も足りなかった。

まだこの社会とまともに戦えないのだ。

このままでは、退屈になってしまう。

望まぬ日常に溺れてしまう。

それは絶対に、絶対に避けなくてはならない。

 

だからこそ私は、自分を鍛えるために大学院を目指す。

公民連携というヘンテコな武器で、このバカ社会と戦うために、その方法を学びに行くのだ。

 

なんか考えがうまく纏まらないけど、雑記として書いておく。

旅の終わり、生まれた疑問

旅路が終わった。

西日本を巡った12日間の冒険譚である。

北海道―伊丹―米子―玉造温泉―浜田―下関―小暮―博多―筑前深江―長崎―関空―奈良―成田―北海道。

行き当たりばったりの旅だったが、気づいたことは多くある。

 

第一に、自主的に長い文章を書くのは苦手であること。

第二に、どうにかしなきゃどうにかならないこと。

第三に、人は意外に優しいこと。

第四に、小手先の表現は役に立たないこと。

第五に、私は旅が好きであること。

 

長くは書かない、書くべきことではない。

私はブログを埋めるために旅をしたのではない。

ただ言えるのは、旅が楽しかったこと、それだけだ。

 

 

この旅で感じたことを基に、別の話題について書く。

何故大学生は海外を見たがるのだろう?

日本はもう飽きたのだろうか。

海外に出ることがダメだとは言わない、異文化理解多文化共生は究極の理性として尊重されるべきことである。

しかし、カンボジアの貧困が、シリアの紛争が、別のカタチで日本の何処かに存在している可能性を十分に検討したのだろうか。

手の届く範囲にも、行き着く先はそれらと同じの問題がいくらでも転がっているのではないか。

ある種「派手な問題」に飛びついているように思えるその姿に、少しばかり違和感を抱いている。

どなたか教えてほしい、大金を払ってゴミの山で缶を漁る10歳の少年を見に行って、バニラエアで行ける範囲なのに寒空の下で路上生活する70歳の老人を見過ごすのは何故か。

繰り返すようだけども、海外を見るのは素晴らしいと思う。私も海外には行ってみたい。

 

 

 

 

 

 

 

書を捨てよ、町に出よう

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