愛情省101号室

物 議 を 醸 せ

暑さに我慢ができない

住環境を快適に設定できない時点で、私はcivilizationへの信頼を失いつつある。

機械文明の御子を自称する私としては、自らの部屋は快適にしておきたいのだが、いかんせんこのアパートは熱交換が最悪だ。

風通しを良くしようものなら、プライバシーまで全開にしなくてはならない。

そんなのがcivilizationと言えるか。

否、言えぬ。

ここは文明社会の盲点である。

 

 

こんな記事を読んでいる暇人達は、どうせ古びた扇風機を必死になって回しているようなプロレタリアートであろう。

何を隠そう、この私も同じく古びた扇風機にしがみつく人間なのでよく分かる。

扇風機をサーキュレーターがわりにして空気の動線を創り出す試みも、単なる熱風の循環を早めただけで終わってしまった。

あとはひたすらにイライラするのみ。

暑い暑い暑い。

 

 

バーーーーーーカ!

なぜ差別がいけないか

差別がいけない理由を説明できないのは、文明人として失格である。

私はCivilizationの申し子を自称しているので、文明人たる尊厳の回復とTOEIC勉強の息抜きに、この理由を自分なりに示しておく。

なおここでの『差別』の定義は、以下のものとする(ブリタニカ国際大百科事典より引用)。

『特定の個人や集団に対して正当な理由もなく生活全般にかかわる不利益を強制する行為』。

まぁどの辞典の定義をとっても大差はあるまい。

 

まずもって、差別がいけない理由を『自分が差別される立場に陥ったら嫌でしょ』というセーフティネット論にすり替える輩は人間失格である。

ありもしない仮定で話を進めると、ただの理想論で事が終わる。

最近このような輩がいて困る。

即刻文明から退場してもらいたい。

 

差別が発生するところでは、属性によって分かれている集団があり、さらにその集団間には何らかの大小による力関係が存在している。

力の大きい集団が力の小さい集団に対する一種の強制が一般的差別であろう。

単純は数の大小では決まらないのがミソである。

 

もう飽きてきたので結論を言うと、差別は多様性を殺すからダメなのだ。

差別は多様性を、そこから生まれる様々な可能性を殺す。

だからダメなのだ。

自由主義に生きる我々は、法の平等やら人権やら多元主義やらといったリベラリズムの上で安寧を享受している。

それを前提にして考えると、差別はこの理念を破るものである。

これは大きな損失である。

 

インド圏を見よ。

世界最大の人口を有しながら、未だにカースト制が息づく神秘の大地を見よ。

あそこには自由主義は無い。

キリスト教的西洋的価値観は無い。

あるのはヒンディーとカースト制である。

かの大地で、カースト最下層(不可触民)が自らの処遇を『差別だ!』と叫ぶだろうか。

否、彼ら自身は叫ばない。叫ぶのは西洋的価値観の住人である。

差別を良しとしない自由主義が根付いていないのだから、そこには差別だって存在しないのだ。

 

つまるところ、差別がいけないのは、一人一人の自由を大切にする価値観の中で生まれた我々であるから、である。

価値観が違えば我々が定義している差別だって正当化される。

 

というのが私の論である。

ただの備忘録なので、アカデミックな論陣を張るわけではない。

先行研究も調査してないし、精査だって無い。

もしかすると福祉系に刺される主張かもしれないし、そうでないかもしれない。

院試が辛い。

TOEICが辛い。

 

人は老いる

人は老いる。

【若さはあっちゅうま】と浮雲さんも歌っているが(椎名林檎『長く短い祭』)、まさにその通り、我々の若さは消費物である。

 

年齢は目安であって指標ではない、でもあえていうなら、「若さ」とは40歳までを指すとする。

平均寿命の半分だし、初老という言葉もあるからである。

私は21歳なので、残りの若さゲージは19年!

 

私はきっと、人生で最も若い時期を生きているのだろう!

肉体的精神的に「幼い」から脱し、今が「若い」の若いときだ。

 

若さは消耗品、しかもナマモノ。

壊れる寸前まで酷使したい!

アーティスティックの極致

みんなどこかで、本当は自我なんて模倣の集合体でしかないことに気付いているんだろ?

 

 

もし自分を自分のものにしたいのなら、自分が唯一無二であると確信したいなら、ユニークな存在であることを立証したいなら、これまでになかった新たな価値を創造するしかない。

アーティスティックの極致、最終的自己表現、1人の人生の彼岸、そんなものの先にあるのは、「自分が何かのコピーではないことの証明」でしかない。

 

ではこの世界に、自分を獲得できた人がどれほどいるというのか。

不可避な死の匂いを感じる

不可視の生の存在を感じる

 

 

人生が幸福であるべき理由

諸君、人生とは苦難の連続である。

この苦難は絶え間なく続く。

人間関係、金銭状況、家庭環境、突然の不幸に格差社会etc、苦難の原因は枚挙に暇が無い。

しかもそれらは自分の力ではどうすることもできない場合が多い。

これは、全くもってふざけている。

一度限りの人生、一度限りの博打なのに、なぜ我々は不幸にならねばならない?

 

 

苦難は続く。

しかもそれは不可避で、人生を進める上では真正面から受け止めねばならない。

ならどうすればよいか。

我々はただ、不幸になるために生きているのか。

ちょっぴりの楽しさの為に、多大なる不幸を飲み込まなくてはならないのか。

 

 

否、断じて否。

「たった一度の人生を楽しく過ごす」という前提に立てば、押し付けられた苦難以上の幸福を享受する資格が、我々一人一人のなかにあるのだ。

人生のマイナスを補って、プラスにする選択肢があるのだ。

「みんな不幸になりましょう」などという社会に対し、毅然とNOを突きつけ、マイナスを補って余りある幸福を請求する権利を持っているのだ。

 

 

それが人生である。

それがこの現代社会である。

幸福になるために社会があるのだ。

幸福を諦め、退屈を受け入れて、現状に甘えたまま未来へ甘い期待を抱くのは、「生きている」とは言わない。

"生きる" とは、傷つけ傷つけられても幸福を求めて戦い続ける覚悟のことである。

真に生きていたいなら、苦難に塗れても戦い続ける理由を見失ってはいけない。

 

 

人生が幸福であるべき理由。

それは "苦難を押し付けられているから" に他ならない。

たった一度の人生なのだから、押し付けられた苦難以上に幸福であるべきなのだ。

そのためには、幸福を求めて、苦難ばかりを押し付ける全てと戦う必要がある。

それが生きるってことだろう。

それが生きているってことだろう。

新年度

親愛なる読者諸君、新年度である。

大学から"旧"4年生は消え、我ら"新"4年生がのさばる時代の到来である。

時は来た!

次に大学へ行った時、思い切り「 アッ、4年生です……」っていう顔してやる!

待ってろ新入生、大学生の時間割がそんなに自由じゃないことを思い知るがいい!

大学生道(みち)は辛く厳しいぞ!

 

 

もちろんこの投稿もiPadである。

しかしやはり旧型、びっくりするほど能力が低い。

なんと私のタイピング速度についてこれないのだ。

それでもアップルの末裔か!(クシャナ殿下感)

旧型iPadの動作性を向上させる方法をご存知の方、ぜひご一報を。

 

 

あーーーーーー、デートしたい!(唐突)

みなさん暇なんですか?

このバカアホブログの閲覧者が、今週だけで40人を超えている。

開設した手前、少し書いてやろうと思い、夜中にひっそりと更新しているのに。

みなさん暇なんですか、人生に疲れているんですか?

 

 

ところでこの更新、なんと最近手に入れた新しいオモチャからの投稿である。

親愛なる読者諸君ならお分かりであろう、新しいオモチャとは iPad mini のことだァ!(迫真のSE)

父君からお譲り頂いた代物で、確かに動作性は遅いものの、バッテリーがいかれて電源のある場所でしか動かないmy laptop computer を思えばまだ使い道がある。

しかも画面がデカい。

SEの4倍はあろうかというこの画面を活かして、iTunesU やNetflix を楽しんでやろうという魂胆だ。

とりあえずBluetooth キーボードを発注したので、届いてからサブPCにするのが楽しみである。

 

……キーボード操作がしやすいために、ついつい文章も増えがちである。

打ち間違いが激しいので、早くキーボードが欲しい!

あとできればこの変な保護フィルムも変えたいな!