読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

愛情省101号室

物 議 を 醸 せ

止まらぬ欲望、その正当化

冷静に聞いてほしい。

私は欲望の権化だ。

 

絶賛悟り探求中だった釈迦を誘惑したとされる魔神マーラ、その生まれ変わりじゃないかと思うほどに欲深い。

手に入らない欲望を抱くならまだマシで、東大に入りたいとかタワマンに住みたいとか、そんなんであれば別にいい。

ただ私の場合はあらゆる場面において「こうなったらなぁ」「〇〇が欲しいなぁ」と思ってしまい、そしてその欲望を正当化して、欲望を満たすための行動を開始してしまうのだ。

これは大問題である。

しかもそうした欲望の大抵は叶っちゃうのである。

こうなるともう手がつけられない。

「これ叶ったから、さらにこうしたい」

「これいけるならまだいけるんじゃね?」

そうして際限なく欲望は膨らんでいく。

 

 

そんなことを何故ここに書いたのか、と疑問に思う方も多かろう。

馬鹿め、ここは私のブログだ!

何書こうと自由だろ!

アハハ!

 

しいて言うなら、自己肯定のためである。

「欲しい」という想いを原動力にここまで来たなら、この欲望を抑えることなく人生を爆走した方がいいんじゃないか。

幸いなことに叶えるだけのポテンシャルはあるのだ、持って生まれたものを最大限に活かすことが最善なのではないか。

ならばこそ、欲望を叶えるために生きるのが私の正しい姿なのではないか。

 

 

うーん、マーベラス

煩悩の化身として自分を肯定し、社会常識に反骨するこの私に期待していてくれ!

以上!

 

社会と戦うために

私は大学院に進学したい。

理由は単純明快、自分を鍛えたいからだ。

 

地域政策学や国際政治学を勉強してると、この世界がどれだけ不条理で厳しいかよく分かる。

さらに田舎しか知らぬこの身では、都会の暮らしがどれほどのものかも知らぬ。

しかも私は秀才ではないし、特段秀でているものもない。

ちょっとばかり政策提案もかじっているけど、この国のトップには手が届かない。

 

つまりは、私は今のままだと使い物にならない。

今のままじゃ大学まで来た意味を感じられない。

私は学びにきたのであって、大卒の肩書きが欲しかったわけじゃない。

しっかり学んで、得た知識を活用して、この不条理な社会と戦っていくために進学したはず。

4年間じゃ、知識も経験も足りなかった。

まだこの社会とまともに戦えないのだ。

このままでは、退屈になってしまう。

望まぬ日常に溺れてしまう。

それは絶対に、絶対に避けなくてはならない。

 

だからこそ私は、自分を鍛えるために大学院を目指す。

公民連携というヘンテコな武器で、このバカ社会と戦うために、その方法を学びに行くのだ。

 

なんか考えがうまく纏まらないけど、雑記として書いておく。

旅の終わり、生まれた疑問

旅路が終わった。

西日本を巡った12日間の冒険譚である。

北海道―伊丹―米子―玉造温泉―浜田―下関―小暮―博多―筑前深江―長崎―関空―奈良―成田―北海道。

行き当たりばったりの旅だったが、気づいたことは多くある。

 

第一に、自主的に長い文章を書くのは苦手であること。

第二に、どうにかしなきゃどうにかならないこと。

第三に、人は意外に優しいこと。

第四に、小手先の表現は役に立たないこと。

第五に、私は旅が好きであること。

 

長くは書かない、書くべきことではない。

私はブログを埋めるために旅をしたのではない。

ただ言えるのは、旅が楽しかったこと、それだけだ。

 

 

この旅で感じたことを基に、別の話題について書く。

何故大学生は海外を見たがるのだろう?

日本はもう飽きたのだろうか。

海外に出ることがダメだとは言わない、異文化理解多文化共生は究極の理性として尊重されるべきことである。

しかし、カンボジアの貧困が、シリアの紛争が、別のカタチで日本の何処かに存在している可能性を十分に検討したのだろうか。

手の届く範囲にも、行き着く先はそれらと同じの問題がいくらでも転がっているのではないか。

ある種「派手な問題」に飛びついているように思えるその姿に、少しばかり違和感を抱いている。

どなたか教えてほしい、大金を払ってゴミの山で缶を漁る10歳の少年を見に行って、バニラエアで行ける範囲なのに寒空の下で路上生活する70歳の老人を見過ごすのは何故か。

繰り返すようだけども、海外を見るのは素晴らしいと思う。私も海外には行ってみたい。

 

 

 

 

 

 

 

書を捨てよ、町に出よう

by

往往にして、旅とは不思議なものである。

1万年前にアフリカの類人猿が遥かなる新天地を求めて踏み出した第一歩から、A.D.2017を西日本で生きる私まで、旅は人類の心を捉えて離さない。

時に、ギリシャ神話で旅を司るのは、海神ポセイドンの娘ミューゼである。

私達は無意識のうちに、うら若く美しい姿をしているミューゼを求めているのかも知らぬ。

ちなみにミューゼは、musicやmuseumの語源である。

 

私は今、西日本で旅をしている。

北海道から大阪、大阪から島根。

このあとは島根から福岡、福岡から長崎へ行く予定だ。

日本海側をなぞるように移動しているな。

こりゃあ風土記を編纂して朝廷に納めなくちゃ(使命感)

 

玉造温泉は豪雨である。

豪雨といえば群青日和群青日和とは椎名林檎

旅先での音楽は格別だけど、あいにく今回はipodもイヤホンも持って来ていない。

今回は、周囲の音をよく聞く旅にしたい。

 

次は出雲だ!

進まない、進まない

現在、とあるプロジェクトの打ち合わせをしている。

『カナダと日本を舞台にして人口減少問題を考える』というものだ。

バイト先も巻き込んでいるため、失敗はしたくない。

 

 

しかしながら、先方のカナダ側の動きがあまりにも酷い。

2ヶ月前から決まっていたはずのスケジュールを、2週間前に迫った今になって覆してくる。

しかもその原因は、あちらが対処すべき内輪の話。

そもそもとしてこのプロジェクトを開催する価値があるのか?という疑問にまで達している有様だ。

先方からは対策案や解決策の提示もない。

 

 

カナダ側にもカナダ側の事情があるのだろう。

しかしこちらにもこちらの事情がある。

国や大学を介したものである以上、国内で開催するよりも慎重になるべきだし、其れ相応の覚悟は必要になるのではないか。

その程度の覚悟で事を始めようとしていたなんて、本当に杜撰としか言いようがない。

 

このように一方的な変更は、双方の信用問題に繋がってくる。

少なくとも、今私の、私達の中にあったカナダ側への信頼は揺らいでいる。

2017/2/13

日記をつけようとしたことはこれまでに何度かあった。

しかし飽き性なために中々続かず、マイライフ21年のほとんどは忘却の彼方にある。

言われれば思い出すし、ふと記憶が蘇ることもある。

だけど時系列が滅茶苦茶になっているので、『あんなこと~こんなこと~あったでしょ~♪(童謡)』で終わってしまうのだ。

そんな悲しい日々にグッバイフォーエバーするべく、今日からブログ日記をつける。

私のプライベートは何時だってエキサイティングかつスキャンダラス、はてなブログコンプライアンスに反しないか心配である。

もしかするとハリウッドが記事の映画化を求めて接触してくるかもしれない。

もしかすると今流行りのJASRAC著作権を求めて接触してくるかもしれない。

 

 

ということで日記第一報目は、本日2月13日である。

本日はお昼に起きた。『バットマンVSスーパーマン』で夜更かししたせいだろう。

カフェイン200㎎を摂取したのち、猛然とお部屋掃除を始めた。

パスタを食べてバイトに出発。

バイトでこれまた猛然と仕事(おしゃべり)をした。

その後マックに寄って夕飯を買い、メッセージに返信しつつ帰宅。

今に至る。

このあとは国際政治学の勉強をしようと思う。

 

以上である。

まさかの「日記」より「前置き」の方が長くなってしまった。

いかに私の人生が薄っぺらいか分かってしまう記事になってしまった。

今後は書籍化も視野にいれて、もっと毎日を厚く熱いものにしていこう!

サイボーグになりたい

雑記

みんな、Netflixに加入しよう(ダイレクトマーケティング)。

 

今日はひたすらにNetflixで『サイボーグ009 Call of Justice 』を観ている。

かの石ノ森章太郎の漫画『サイボーグ009』のリブート作品で、太古よりの巨悪"ブレズド"との戦いを描く12話完結のワンシーズンアニメである。

 

映像の美しさやストーリー展開、各サイボーグ達の個性はさる事ながら、この作品には特筆すべき点がある。

 

すなわちそれは、""敵を容赦無く殺す""こと。

 

はるか上空から叩き落として首の骨を折って殺したかと思えば、次の話では抵抗できなくなった相手を斬り殺す。

まさに圧倒的ジャスティス、まさに暴力的サンシャイン池崎

死を以て正義を下すその姿が、私は本当に好きだ。

情けや同情が見せないところが戦士然としていて非常に良い。

 

Netflix加入者にはぜひ観て頂きたい作品だ。

ぜひとも教授達も、この正義感で怠惰な学生達をなぎ倒していってほしい。