愛情省101号室

物 議 を 醸 せ

旅の終わり、生まれた疑問

旅路が終わった。

西日本を巡った12日間の冒険譚である。

北海道―伊丹―米子―玉造温泉―浜田―下関―小暮―博多―筑前深江―長崎―関空―奈良―成田―北海道。

行き当たりばったりの旅だったが、気づいたことは多くある。

 

第一に、自主的に長い文章を書くのは苦手であること。

第二に、どうにかしなきゃどうにかならないこと。

第三に、人は意外に優しいこと。

第四に、小手先の表現は役に立たないこと。

第五に、私は旅が好きであること。

 

長くは書かない、書くべきことではない。

私はブログを埋めるために旅をしたのではない。

ただ言えるのは、旅が楽しかったこと、それだけだ。

 

 

この旅で感じたことを基に、別の話題について書く。

何故大学生は海外を見たがるのだろう?

日本はもう飽きたのだろうか。

海外に出ることがダメだとは言わない、異文化理解多文化共生は究極の理性として尊重されるべきことである。

しかし、カンボジアの貧困が、シリアの紛争が、別のカタチで日本の何処かに存在している可能性を十分に検討したのだろうか。

手の届く範囲にも、行き着く先はそれらと同じの問題がいくらでも転がっているのではないか。

ある種「派手な問題」に飛びついているように思えるその姿に、少しばかり違和感を抱いている。

どなたか教えてほしい、大金を払ってゴミの山で缶を漁る10歳の少年を見に行って、バニラエアで行ける範囲なのに寒空の下で路上生活する70歳の老人を見過ごすのは何故か。

繰り返すようだけども、海外を見るのは素晴らしいと思う。私も海外には行ってみたい。

 

 

 

 

 

 

 

書を捨てよ、町に出よう

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